いつからでしょうか。稲川淳二さんの名前を聞けば、
多くの人が「怪談」を連想するようになったのは。
もともとはバラエティ番組でいじられ、独特の話しぶりで笑いを誘っていたキャラクターでした。
CMや司会、タレント業をこなし、
夏の風物詩といえば稲川さんの和装姿という印象も強いものでした。
しかし、気がつけば「ぞくぞくする話を語る人」として、
すっかり日本の夏の代名詞に。そこに至るまでには、数多くの転機と挑戦がありました。

タレントから「怪談家」へ転向
55歳を過ぎ、中年期に入った稲川さんは、あらためて自分の活動を見つめ直しました。
「怪談に専念したい」という強い思いから、徐々にタレント業を縮小。
怪談師としての道を本格的に歩み始めたのです。
この転向にはファンの後押しもありました。
「稲川さんの怪談を生で聞きたい」という声が全国から寄せられ、夏には各地で公演を開催。
いまや夏の恒例行事として定着し、何十年も続く一大イベントに成長しました。
いつから、そう言われるようになんたんだろうか?
私がテレビで見ていたころは、バラエティ番組でいじられて
「喜んで頂けましたでしょうか?」の締め言葉で、
お茶の間を沸かせていたキャラだったのに・・・
いつの間にか、夏になると和装でぞっぞっぞ~とする話をしてくれる、
何か霊感が漂うおじ様になってました。
怪談の始まりは『オールナイトニッポン』
稲川さんが怪談を語り始めるきっかけとなったのは、
深夜ラジオ『オールナイトニッポン』でした。
当時はリスナーの反応がダイレクトに返ってくる時代。
稲川さんの語る怪談は、その語り口の迫力と独特の間で一気に注目を集めました。
リスナーから「もっと聞きたい!」という声が殺到し、
カセットテープに録音してまで保存する人が現れるほど。
まさに“怪談稲川”の原点はここにありました。
番組の合間に、怪談を披露したのがきっかけ。
すると、リスナーからの反響が大きく、はがきが殺到、番組サイトが動きだして、
テレビ出演が増え、カセット販売へと繋がっていったとのこと。
何がきっかけで火が付くか、わからないものですよね~
語り部としての魅力
稲川さんの怪談は、ただの「怖い話」ではありません。
独特の間合いや抑揚、そして人情味のあるエピソードが随所に散りばめられています。
聞き手はただ恐怖を感じるだけでなく、
「人の縁」「時代の空気」までも感じ取ることができるのです。
これは、単なる語り手ではなく「表現者」としての経験を積んできた
稲川さんならではの魅力でしょう。
プロフィール
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本名:稲川 良彦(いながわ よしひこ)
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生年月日:1947年8月21日
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出身地:東京都品川区
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職業:工業デザイナー、タレント、怪談家
工業デザイナーからスタートし、タレントを経て、怪談家へ。
異色の経歴を持ちながら、自らのスタイルを築き上げた稲川淳二さん。
今や「夏=稲川怪談」と言われるほど、日本の風物詩にまでなった存在。
彼の語る怪談は、単なる娯楽を超え、人々の心に長く残り続けています。
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